自然妊娠を期待して始めた妊活。いざ妊活を始めるとなかなか授からない・・・。子どもを授かりたい、その一心で不妊治療に足を踏み入れ、すぐに授かれば素晴らしいこと。
けれど、不妊治療がなかなかうまくいかないと、「いつまで続けるんだろう」と頭をよぎることがあります。どうやって区切りを決めたらいいの?そもそも区切るべき?など悩みは尽きません。
アラフォーで働きながら続けてきた不妊治療も気づけば38歳。もうやめようと、決断した当時、管理人が考えていたことを事例の1つとして気持ちの整理の仕方も交えてご紹介します。
※これまでの妊活概要まとめはこちら
管理人の場合:決断した時
凍結胚移植10回以上、続く陰性や流産。貯金もどんどん減って、年齢も重ねていたので、凍結胚移植5、6回目くらいで、うっすらよぎった「いつまでやるんだろう・・・」という思い、10回を超えると、はっきりと「やめどき」を意識するようになりました。
一方で、子どもを授かりたい思いから、少しでも卵がとれ、可能性があるならば頑張りたい気持ちが強くあり、多少惰性で続けてもいました。
最終的に「もうこれが最後かも」と思い、それを夫にも告げることができた凍結胚移植で奇跡的に妊娠はできたのですが、その時、「これが最後」を決断できた理由は、こちらでした。
- 不妊治療をやりきったと思えた
- 心身ともに疲弊感がピークに達していた
- 国の助成金の期限が43歳未満までだった
「不妊治療をやりきったと思えた」は、次の項目で詳細に記載します。それまでの長い道のりの中、色々な治療や薬を試した結果やりきったと思え、決断のための気持ちの整理ができていました。
その他の疲労感のピーク、助成金については次にまとめています。
心身ともに疲弊感がピークに達していた
ずっと妊活中心の生活で、仕事も遊びもなんとなく中途半端。その割に成果がなく、精神的に平常心で生活するのが少しずつ辛く感じることがありました。
仕事では管理職の立場柄、責任もあり、その中での評価や見られ方もある程度察することができる手前、初めは鈍感力を発揮して気にしないようにしても、働きながら妊活の両立が徐々に苦しくもなりました。
遊びもタイミングによっては断ったり、服薬状況で自制もしていました。友人との話題も子育てに関することが多くなり、聞いていて微笑ましく、楽しくもありましたが時には辛く感じることもありました。
この自分の身の置く場所がはっきりせず、気持ちも割り切れないモヤモヤした状況に徐々に疲れやむなしさのようなものを感じるようになりました。
そのため自分らしく明るく生きるために不妊治療をやめる、場合によっては養子に家族になってもらって子どもの未来を明るく描きたい、と考えるようになりました。
国の助成金の期限が43歳未満までだった
助成金などのお金の問題と言うより、年齢は気になっていました。
具体的には次の2つの理由です。
- おそらく43歳以上の妊娠期はかなり難しい為に区切られているのでは?と予想
- 40歳以上の妊娠率が低いのに、アラフォーの自分が、これ以上取り組んでもできる気がしない
特に、これまで4つも病院に通い、いろんなブログやネットでまとめられている治療に取り組みました。それでも妊娠に至らないのであれば、社会に区切られた年齢が妊活終了を決断するための目安なのかもしれない、、と感じていました。
もしも分り易い年齢の区切りがなければ、きっとお金と時間を浪費し続けていたと思います。そうすると元の生活を取り戻せなくなってしまうかもしれません。
そのため、苦しいですが、国の制限はある意味、無言の後押しなのかも・・・と、年齢ベースで妊活の終了を事前に決断していました。
ただ、結果としてはその前の38歳の時点で妊活に対する疲れと「やりきった」、と言う気持ちが大きくなり、ここでもうやめよう、と決断していました。
では、決断のために心がけていたことや考えていたことは何なのか?それを次からまとめていきたいと思います。
気持ちの整理の仕方
悔いのない不妊治療をやりきる
「不妊治療をやりきること」これは一時的でも最優先事項を不妊治療に置いて生活をすることだと思っています。
不妊治療で一番大切で難しいことが、いつか来るかもしれない決断の時。そして、そのためにとても重要なことが「心の整理」だと思います。
心の整理のためには、そこに至るまでの「やりきった」、と言える妊活の道のりだと思います。
管理人の場合、20代の頃も合わせると5,6年くらいは取り組んでいた妊活。不妊治療で言うと3年ほど。体外受精をしてもなかなか授かりませんでした。(妊活概要参照)
メンタル的にも、陰性ばかり続いた当初は化学流産でも着床をする人をうらやみ、化学流産をすると、流産でもお腹で育てられる人をうらやんでいました。
そんな自分が恥ずかしくもあり、悲しくもあり、それでも「いつかは妊娠したい」と言う一心で治療に臨んでいました。
一方で、妊娠を諦めるかもしれないその日に後悔したくはありませんでした。
「お金がなくて出来なかった」
「この治療を知っていたら良かった」
とならないよう、色々な情報を調べ、お金を切り崩し、途中からほぼ手当たり次第やっていました。世の中で言われている治療や検査はほとんど経験したと思えるほどです。
そのため、結果として妊娠はできましたが、最後の凍結胚移植では「これでダメだったらもう諦めよう」と夫に話すことができていました。それまではまだいける、まだやれる、妊娠出来るはずだ、と必死に取り組んでいました。
夫と子どもがいない生活の楽しみを見つける
妊活中、常に考えていたのがいつか来る悲しい決断の時、自分の精神状態がどうなるのか。
どんなに平常心を保っているつもりでも、精神的にはかなり沈み込み、立ち直れるのか、自信はありませんでした。
もしかしたら仕事に行けなくなるかもしれない、普通に過ごしていても涙が出てきてしまうかも、すれ違う子どもたちを視界にいれるのが苦しくなるかも・・と自分の性格と照らし合わせると不安で仕方なく、だからこそ妊活にも必死で取り組んでいました。
受精卵の移植も5回、6回と回数を重ね、1年2年と時が経過してくると、年齢も積み重ね、いよいよ決断することが現実味を帯びてくるのを感じました。
そのため、いつか来てしまうかもしれない決断のために、少しずつですが、 夫と二人だったらどんな生活をしていきたいか話すようにしていました。
子どもがいない共働きだからお金貯まる!
海外旅行にも行きやすい!
旅行でいい旅館や食事にいける!
BBQやキャンプ、ダイビングをしよう!
やりたい仕事にチャレンジして転職してみるのもあり!
・・などなど、もしも子どもがいなかったらどんな人生にしたいか、何を二人で楽しみたいか、どんどんアイディアを出すことでこんな未来もいいかも、と休日などに話していました。
妊活がうまくいかないとき、悲観的になることは簡単です。なのであえて、やや無理矢理にでも楽しい未来を想像するだけで気持ちが前向きになりました。
また、採卵や移植後ではない普段の休日は、これまで以上にやりたいことをやり、行きたいところにたくさん行きました。
すると、こんな楽しい生活が続くなら、悪くないのかも・・と言う気持ちがほんのり芽生えるようになりました。
妊活の話をすることもそれなりにある中で、気づいたらもしかしたら起こりうる、二人だけの未来の生活も、普段の何気ない会話として自然にできるようになりました。
その繰り返しの中で、子どもを諦めた時はすごく泣いて凹んでしまうとは思っていても、この人なら支えてくれる、立ち直ることができる、と言う安心感を持つことができました。この先に楽しい生活がある、と思うことができ、気持ちの整理もしやすく、妊活の終わりの決断もしやすい気持ちになっていました。
やってみたい仕事を考える
管理人の場合、職場のメンバー、上司には恵まれていたのですが、会社の方針や仕事の内容は少し違う仕事をしたいと思うことが度々ありました。
せっかくの人生、やりたいことをやってみたい、チャレンジしたいと言う思いと、子どもができたら育産休を取り時短勤務になると考えると、転職を考えるのは妊活を終えてからだなと思っていました。
それでも、気持ちが沈みそうになった時や気を紛らわせたい時、もしも妊活を諦めるとなったらどうする?何をしたい?と、考えるようになりました。
そうすることで、自分の可能性ややりたいことなども見えてきて、未来に希望を持てるようになりました。
チャレンジしたいことがなんとなくでも見えてくると、年齢が高くならないうちに次の職場を探したい、やってみたい、と言う焦りも出てきます。
管理人のアラフォーという年齢は、スキルが相当マッチしないと転職市場ではかなり難易度が高いので、なおさら妊活と仕事が中途半端になっていることが気になってきました。
その焦りをストレスにしないために、ある程度の方向性が見えた段階で、個人的に移動時間や隙間時間を使って勉強をしたり、資格取得を狙うようになりました。
そうすることで、少しでも自分の理想の状態に近づける気がしたこと、「置いて行かれる」と言う感覚も紛れました。
方向を決めて勉強することによって妊活を諦めたらすぐに動き出せる準備として安心感を持てましたし、子どもを出産した後も何ができるか、何をしたいかと言う整理にもなり、とてもプラスになったと思います。
ペットを飼う
元々どうぶつ好きだったと言うこともあり、「絶対にいつかはわんにゃんを飼いたい!!」と元々思っていました。ただ、妊活中と言うこともあって、子どもが3歳くらいになってから、と漠然と考えていました。
そのため、実際に飼うことはせず、たまの休みにペットショップでわんにゃんや鳥、ウサギなどを見てはかわいいなぁと眺めていることが数年続いていました。
しかし妊活がうまくいかず時だけが過ぎていき、いつ授かれるかもわからない、そもそも授かれない可能性を感じ始めた時、遅かれ早かれお迎えすると決めているのであれば、家族になりたいと思った子がいたらお迎えしよう、と思うようになりました。
お迎え後、もし子どもに恵まれたら日々の生活は大変だろうとも思いましたが、わんにゃんたちも家族。みんなで楽しく過ごすための工夫をして、みんなで幸せになろうと決めてお迎えしました。
お迎えしたことで良かったのは、一緒にいることで夫だけの時とは違う彩りが日々に生まれました。
家に帰って一緒に遊ぶのが楽しみになりましたし、甘えてもらえる嬉しさや、抱っこした時の幸福感も何者にも代えがたいものでした。
仮に子どもに恵まれなくても、この子たちと楽しく生きていけると未来が更に明るくなっていったことを感じます。
子どもが生まれた今は、出産後の2,3ヶ月はドタバタしたものの、それ以降は子どもとも仲良く遊び、優しく過ごしてくれていて、あの時お迎えして良かったなぁと思っていますし、お迎えしたから子どもが舞い降りたのかもな、とも思っています。
養子縁組みを考える
管理人はこれ以上の不妊治療自体を断念しながらも「生みたいのか?」「育てたいのか?」と自問自答することが増えていました。
「もし子どもが生まれたら」をイメージしたとき、家族で色んなところに行き、刺激を受けながら、お互いに笑ったり泣いたり、勉強しながら成長していきたいと言うことばかり思い浮かびました。
できれば自分のお腹で育てて生みたい、その気持ちは強くあるものの、同じように誰かのお腹で育った子が、本当は経験できるはずのものを経験できずに過ごしている、そういう子どもと家族として過ごし、日々を紡いでいきたい、とも思っていました。
そして自分は生みたい、よりも育てて色んな経験を子どもたちにさせてあげたい、と言う気持ちが強くなり、養子も考えるようになりました。
実際に説明会にも参加し、申請さえすれば、巡り合わせにより家族となる子どもがいつか来るかもしれない、と言うところまで不妊治療と並行しながら進めていました。
養子縁組は、登録すれば良いものではなく、本当に巡り合わせ次第で、いつ親になれるのか、そもそも親になれるのかすら分かりません。
ただ、もしも家族を求める子どもと巡り合う日が来たら、自分が生んだ子のようにかわいがり、育てたいと思っていました。
管理人の場合、最終的にスッキリとした気持ちで最後の凍結胚移植を終えられたのはこのことを考えていたからかもしれません。
同じように、生む、育てる、でモヤモヤしている方は、一度説明会を聞いてみると、イメージも湧き、夫婦で新しい会話が増えるかと思います。
まとめ
決断の日を決めること、そのための気持ちの整理は、「整理をしよう!」と思ってできるものではなく、日々の生活の積み重ねで整理できてくるものだと感じています。
そして、整理をしていくのに一番重要なものは未来に対しての希望を持つこと。そのためには夫と一緒の方向を見て理解し合っているという安心感があるかどうかだなと感じています。
二人だけになった時、この人とならやっていける、と思える安心感や信頼感があってこそ未来絵図を描けるものだと思います。
不妊治療を通して、夫に対して怒りが湧いたこともありますが、一番未来に対して会話が多かった時でもあったなとも思います。
夫婦で改めてお互いを知ることで、自分自身のやりたいことや楽しみが見つけやすくもなると思います。もしも同じように妊活に対する決断を考え始めている方がいらっしゃれば、参考になれば幸いです。